図書館の棚
近所の区立図書館の棚、無名の著者にはそれが晴れの舞台に思える。
舞台から下ろされる日が遠からずやってくるだろう。
15年前、自営業閉店後の夫は、暇を予定通り執筆に充て、1995年秋、自費出版にこぎつけた。
気軽気分で、1冊図書館に持参。
「読ませていただき、置くかどうか(協議で)決まります。
置かない場合も無駄にしません。区内の施設等に置きますが、よろしいですか」
私はびっくりした。
がっかりしたものの、了解して…帰ってきた。
まもなく、新書棚(発刊直後)に置かれた。
「普通より長く、新書棚に置きましょう」
登竜門がしょんぼりだっただけに、その好意は嬉しかった。
途中どなたかが借り、普通棚に移った。
それからが大変、無名著者の本を借りてもらえるだろうか。
図書館に出むく日は、その棚を見にいく。
たまにないと、興奮…。
2000年秋、2冊目を自費出版。
今度は即採用された。
後日、区の講座等で知り合った数人の仲間に2冊目(1冊目は残りわずか)を進呈。
しばらくたち、1冊目の図書館利用をお願いする。
仲間の順次応援借りで、棚は長い期間留守状態…嬉しかった。
今、活字離れが続いている。
高齢で読書がおっくうにもなっている。
時折、区内在住で本を読みそうな人(この判断はほんとにムズカシイ)に、2冊の図書館利用をお願いする…。
先日、コーラスのアルト席で馴染みのKさんに、…図書館利用してますか…で始まり、思わぬ展開に…。
「…主人もその方では、名が知られているの…」図書館にあるご主人の著書を紹介された。
いま、借りて読んでいる。
専門的な本と思ったが、まえがきに「…気楽に読んでいただけるように、エッセイ風に書かせてもらった。」とあり、軽やかな文体でページも進んでくれそう。
テーマの通り、数字、横文字、片仮名と理解しにくいが、自分が見たり触れたりした記憶部分には、ふんふん…とそのユーモア表現も面白く、ひょんなことから思わぬ読書に感謝。
多少でも縁のある人の出版物(エッセイ、句集、写真、スケッチ…)は、見たり、見られたり、嬉しい交歓になっている。
そして、図書館の夫の本を読んでくれた、私の高齢になってからの仲間たち、そのありがたい好意は忘れない。
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コメント
凄い凄い!
高尾山さんのご主人!
私も50代の終わりにと、5年ほど前に「白球を追う」を自己出版しました。何十万も懸けた本でした。始めは某出版社から、自分が書き綴ったスポーツコラムの延長でいいから・・・と、強引な誘いについつられてでした。助平根性がチラッとあったんでしょうね(笑)
結局は六十部は売れたであろうか!2年ほどで本屋の棚から消滅!
文屋家業と言っても、畑違いなんだと痛感しました。原稿書きも昔は四百字詰めの原稿用紙、今では各誌とも専用ソフトのテーブルです。ですから、活字を書かない字はウロ覚えになって漢字が書けない哀れな人間になってしまいました。
ご主人の本を一度読んでみたい・・・
投稿: peco | 2009年11月19日 (木) 08時01分
pecoさん、おはようございます。
実はまだあるんです。(特に2冊目)(笑)
9年前の出版では、身内、友人、知人がいなくなっていくのです、本好きな人が特に。
koba-3@axel.ocn.ne.jp
ぜひ、お読みいただきたく、送りたいです。
メールにご住所、お願いします。
読んでもらってこそが著者の喜び、最年少兵の稀有の物語を知ってください。
投稿: 高尾山 | 2009年11月19日 (木) 09時35分