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関口芭蕉庵が江戸百景(広重)に

アサヒ・ファースト(朝日販売店サービス誌、第4日曜発行)に「大江戸探検 芭蕉は妻子を養うため上水工事にかかわった?」の記事があった。

1672年29歳で故郷伊賀国から江戸へ。
34歳から4年ほど上水工事にかかわる。
没(51歳)後に堂や塚が立てられ、江戸時代すでに「関口芭蕉庵」として知られた。

Photo 幕末期に広重が江戸百景の一つとして描いた「せき口上水端はせを庵椿やま」(国立国会図書館所蔵)のコピーが載っている。

2840 これは私の日常散歩コースの並んだ3点「関口大洗堰(せき)、芭蕉庵、椿山荘」になってくる。
が、百景の絵は神田川芭蕉庵のみ。
広重の目線で撮ってみた。2843
開かずの門。
日常は横の通用門。
神田川の花見時2週間ほど正門は開く。
月火休み。無料。

神田川遊歩道沿いに並んだ庭はすべて丘陵型(絵に階段が見える)。
音羽通りから順に、江戸川公園、椿山荘(冠木門)、芭蕉庵、水神社支社、新江戸川公園。

上水工事の名残の碑等が、江戸川公園内にある。2837 2838

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コメント

お江戸散策していらっしゃると、広重が描いた当時の江戸百景が、現代版描写に見えますでしょう・・・
歌川と安藤違いでも、江戸は別な角度から見ればそれぞれ表情が違います。
浮世絵風だと、当時の人たちはなんとなく色っぽく見えますのも、広重の特質だったのでしょうか。
高尾山さんの散策便りは、江戸の香りがしてまいります。

投稿: peco | 2009年7月30日 (木) 08時26分

pecoさん、こんばんは。
昔はマッチで「東海道五十三次」がお馴染みでした。
知ってる景色にも出あったものです。

不安定天気の中で7月が終わってしまいます。早いですね。

投稿: 高尾山 | 2009年7月30日 (木) 19時47分

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